久しぶりに・・・

病気が治ると日記まで放置とはいかんですねw
確かに今はまったく症状が消えた。
心の病になると視野が狭くなる。自分しか見えない。
かの『夜回り先生』と呼ばれた水谷修氏はそういう状態を


『自分病』


と自身の著書に書いている。
自分しか見えないから考え方も自分が中心となる。
これは決して『我がまま』とは違うものだ。
自分の欲求や考えを押し通そうとするのが『我がまま』とするなら
『自分病』とは周りが見えなくなる。周りに対して興味がなくなるのである。
だから、自分しかみえなくなる。
自分が一番不幸のどん底にあるという状況に思えて逃げ道が『死』しかなくなるのである。
もちろん、ボクもそこまで追い詰められた。


実際に『死』を選ぶといろんな方々を悲しませ、かつ迷惑をかけることになる。
それは、誰もが常識的に思っていることだ。周りが見えているから。
だがしかし、心の病にかかるとその常識が覆される。
周りが見えなくなるから・・・


自分を追い詰めてしまう人のほとんどが
親や兄弟友達に迷惑はかけられないとして相談することをやめてしまう。
得てして、こういう人に限って周りから相談を受けることが多かったりする。
ボクもその一人。
でも、その考えは大きな間違い。
親や兄弟、友達だからこそ相談すべきなのだ。
困っているときにこそ助けてくれるのが親や兄弟、友達なのだ。


迷惑をかけるから・・・これは間違った優しさ。


返って、信頼していないことを意味している。
仮に耐え切れずに自ら『死』を選んだとしよう。
一番悲しむのは、親や兄弟、友達である。


「なんで、死ぬ前に一言相談してくれなかったんだ」・・・と。


ボクが中学3年生のときに他のクラスで胃癌でなくなった生徒がいる。
彼はテニス部でボクと同じクラスに彼と同じテニス部のヤツがいた。
亡くなった次の日、その同級生は授業が始まったにもかかわらず、ずっと泣いていた。
小学校から一緒だったボクにもどうすることも出来ず
ついには先生も何も言わなくなってしまった。
そんな彼が、ボソっと言った一言がある。


「ずっと一緒の部活だったけど、オレにはどうすることもできなかった・・・」


彼の流した涙には、『死』に対する悲しみ以外にも
どうすることも出来なかった悔しさも込められていたのだ。
胃癌はどうすることも出来ない。ましてや若年性の癌であるなら・・・
でも、心の病はどうにか出来る。
残された親や兄弟、友達に悔し涙を流させてはならない。


ボクは、もう立ち直った。
再び前を向いて歩き出した。