先生の笑顔

今日、病院に行って来た。2週間ぶり。
お薬手帳をみると2週間ごとに通院している。
ボクが、耐えていける時間が2週間なんだろうか。


今日は進展があった。
ここのところボクは、視野が広がってきているのを自覚している。
精神的に行き詰ってくると共通して言えるのが
自分しか見えなくなってくることだ。
だから、「消えてしまいたい」とか
「自分だけいなくなっても誰も困らない」という考え方になってくる。
実際は、悲しむ人だっているわけだし困る人だっているのだ。


ちょっと脱線したが、先生と会話をした。
自分でもわかっていることだが
通院するたびにボクの方からいっぱい話すようになっている。
慣れもあるのかもしれないが、通院当初は質問に答えるのに精一杯だった。
今は、自分から話をしている。
その会話の中で「視野が前よりも広がってきた」という話をした。
すると先生はとても嬉しそうな笑顔を見せながら
「今日は大きな進展があったね。『視野が広がってきた』これはいいことだよ」
その笑顔にボクはとても安心した。


あなたは放っておいても治る人なんだから。
患者さんがみんなあなたのような人だったら私らはとても楽なんだよw」
最後に先生に褒められた。
最近はめったに褒められることがなくなったから嬉しかった。


ここまで来るのに約2ヶ月。ボクがひとりで頑張ってきたわけじゃない。
両親や彼女、友人、会社の同僚、ネットに多くの情報を流してくれている方達のおかげでもある。
金八先生の言葉にこういう言葉がある


生きているということは
別な言い方をすれば生かされているということ


病気になったボクにはすごく理解出来る言葉だ。
以前まで健康だったボクには少し欠けていた部分だ。
仕事ぶりも調子よかったし楽しいことばかり周りに集めていたから。
病気になって不安感をコントロール出来なくなって
親や彼女、友人に電話しまくってすがったりした。
ここで支えてくれた人たちがいたからここまで回復出来た。


ありがとう


まだ、完全に立ち直ったわけじゃないけど
希望を感じれるようになったことにみんなに感謝したい。


『マイペース』


ことあるごとにそう言ってくれる彼女にも感謝したい。
今、自分のライフスタイルはこの『マイペース』という言葉がキーワードになっている。
これが保てなくなればまたボクは不安定に逆戻りするだろう。
退職というのには何か後ろめたいものを感じていた。
でも今は、自分のライフスタイルが大きく会社に左右され
精神的にも合わせにくくなった場合は退職したって「へーき」だと思えるようになった。






いつかまた、この大空に向かって羽ばたく
そのときボクは、不死鳥の如くとなれるだろうか

還暦

16日23:20
実家に慌てて電話した。
以前、この時間に電話したときはボクがおかしくなっていたときで
親に随分と心配をかけた。
だから、少し戸惑ったがどうしても電話をしなければならなかった。


電話をかけると案の定、寝てたらしく眠そうな母親の声が。
「こんな時間にごめん。父さんいる?」
母親との会話もなく親父に代わってもらった。
ボクにまた何かあったのか心配そうな声で出る父。
「どうした?」


「父さん・・・誕生日おめでとう」


ボクが言いたかったのはこの一言だった。
起こしてしまったのは申し訳なかったが次の日だといささか興ざめしてしまうし。
だから思い切って電話した。
還暦なので本来は今日で定年退職なんだが
嘱託社員として数年は現役のサラリーマンを続けるらしい。
「ホントは退職なんだけどさ・・・」
迷惑そうな言い方をしながらもまだ現役でいられることに喜びを隠せないようだ。


社会人になってちょっと出世して部下を持ったとき
『親父ってすごいな』と思えるようになった。
尊敬した。親父は結局、課長止まりだった。
出世競争には負けたのかもしれない。
しかし、それ以上に親父は人望が厚い。
上からも部下からも慕われ尊敬されている。
その点では親父は誰よりも勝ち組にいたとみえる。
ボクには越えられない壁だ。素直にそう思う。


ボクがまだ学生だったころは
「なんだその長い髪は」とか「なんだ金髪にしやがって」とか
多少の衝突はあった。
でも今は
「調子はどうだ?」「具合はいいか?」「ちゃんと食べてるか?」「眠れてるか?」
ボクの体と心の心配しかしてこない。
ボクは未だに親父に心配ばかりかけている。
とても情けない息子だ。
でも、今日は少し違った。


「声が明るいから元気そうだな」


ほんの少しだけ今のボクに出来る親孝行が出来た。

ヤバ・・・

調子が悪い。
昨夜は、棚卸し。今朝5時ごろ帰宅。
寝たのが6時で携帯が9時からジャンジャン・・・眠れてない。
進行率に乗ってないキャンペーンの対策書を書けとか。
わけわからん。
今日、店廻りに行くとか。かなり気合入れて電話寄こしましたけど。
どうせ、ダメ出しにしか来ないんだろ。


最後に通院したのは31日か・・・
だいたい2週間もったな。
今までで最長か。


何か、勢いで仕事辞めるって言っちゃいそうだな。

犬の十戒

病気を認識するようになってから
調子の悪いとき電話意外の対処法として
感動するDVDや動画を見て泣くようにしている。
ボクは、あまりにも泣くことを我慢し過ぎた。
時には泣くこともあった。
しかし、極力避けてきた。
今は、意識して泣けるような動画を見る。
そして大泣きする。
感情のコントロールが出来ないせいか涙がすぐに出てくる。
彼女は、ボクに言った。


「繊細なんだから。泣くのを我慢しちゃダメだよ。ストレスの発散になるんだから。」


今日は天気が悪い。そして、深夜業務で明け方まで仕事だ。
テンションが低い。
だからこの動画を見た。大学生のときに死んだ犬を思い出した。


ある日、犬の具合がおかしかった。老犬だから心配していたんだけど。
ボクは午後からの授業をサボって犬を毛布に包み抱きかかえて
かかりつけの動物病院に歩いて連れて行った。
自転車で行くと10分もかからないのに歩いていくとかなりの時間がかかった。
ボクの体温で暖めながら犬の体温が下がらないようにするためにはこうするしかなかった。
病院へ着くと何人かの人が順番を待っていたが
ボクは、受付でこう叫んでいた。
「先生!モモ(犬の名前)がおかしいんです。助けてください!」
ボクの目からは涙が溢れていた。ヤバそうな予感がずっとしていたのだ。
待っていたお客さんも事態を理解してくれて順番を譲ってくれた。


老衰だった。腹水が溜まり肺にまで水が溜まっていたのだ。
ボクらは別室に通された。先生の休憩室だった。
他の方々に気を使ったのかボクに配慮をしてくれたのか
別室での治療になった。
そしてモモは一度、心肺停止になった。
目から段々光が失われていく・・・
「先生!!」
ボクはパニックになっていた。


モモは小学校のころからずっと一緒だった。
その間、いろんな猫やハムスター、カエルなんかも一緒に飼った。
モモはいつもいじめないで仲間として家族として受け入れてくれた。


「先生!」ボクの悲痛の声に先生が部屋に飛び込んでくる。
見てすぐに事態を把握した先生は
ボクの見ている前でモモに人工呼吸を始めた。
普通に人間にやるようにマウスtoマウスで。
すると光を失いかけた目に輝きが戻ってきた。
苦しそうに両手両足をピンッ!と張るモモ。
奇跡は起きた。
モモが息を吹き返した。
でもそれも1時間はもたなかったと記憶する。
最後に「先生!」と呼んだがもう息を吹き返すことはなかった。


ボクは泣きながら病院を後にした。
治療代は無料だった。
あんなにみんなに迷惑をかけたのに・・・
ただ一言だけ先生はボクに言った。
「ボクの力が及ばなかった・・・」
先生の目から涙がこぼれていた。


いろんなひとに見られたと思う。
亡骸を抱き泣きながら歩いているところを。
そのときのことを想い出した。

帰宅

昨夜、東京から帰ってきた。
病気のせいか、久しぶりの東京だったせいか
秋田空港に着いたとたんにいつも以上の焦燥感がこみ上げた。


今回の滞在期間中、店から4〜5回電話がきた。
まったくもって仕事を忘れることが出来ない。


初日は、霧で20〜30分遅れながら東京に着いた。
友達が空港で待っていてくれた。
いつもながら申し訳ない。
空港で軽く昼食。
彼もいろいろと悩みがあるようだ。
その後、中野でマッサージをウケに行った。


初日は、新宿でフットサルメンバーと夕食を食べて
新宿でボーリングして終了。


二日目、ボクは結婚式の二次会からの参加だったので18時までは一人で行動。
いままで行ったことのないところに行こうと思っていた。


最初に行ったのは渋谷。久しぶりの渋谷。
目的は、ハロショ渋谷店を見たいと思ったから。


ボクはヲタクの存在を公認している。
否定や毛嫌いする人が多いと思うけど
全般的にヲタをボクは否定しない。
ボクは多趣味だ。広く浅く、興味のあるものにそそられる。
だから知り合いや仲間が多い。
夢中になれるものがあるのはいいことだと思っている。
ハロショの存在を知ったのはいろんなブログを回っていて
ハロプロファンの方々がみんな通っているようだったので。
どんなところか見てみたくなった。


最初の感想は、殺風景だなぁって。
想像していたよりはあっさりしていた。
ただ壁にいっぱい見本の写真が貼ってあるだけ。
若干、アイテムがショーケースに置かれていてガラーンとしている。
有料のミュージアムもあったがそこには入らなかった。
日曜日ということもあってか親子連れもいた。
ほぼ開店時間だったから人は少なかった。
何も買わずに出て来ちゃったけど記念に何か買っておけばよかったな。
ネットで見たこともない写真もあったし。
ヲタ仲間がいたらもっと楽しめたかも。


その後、御茶ノ水にあるサッカーミュージアムへ。
2002年のワールドカップ日韓共催を思い出した。


日本1-0ロシア


確かにあの日、ボクは新宿歌舞伎町のど真ん中で大騒ぎをしていた。
知らない人や外国人と日本の勝利を祝った。
ワールドカップには、人種や国籍、言葉の壁を越えて人を揺り動かす力がある。
あのときの熱い想いがこみ上げて涙が出そうになった。


ある日本のサポーターがこう言ったそうです。
『これを機にボクらのレベルで日韓の距離が縮まればいい』


ある韓国サポーターは
『日本人が仲間になった気がする』


あるFIFAの関係者は、
『この大会で敗者が出るのが惜しい』
そう語っていた。


すばらしい大会だった。
残念ながら06ドイツ大会では日本は結果を出せなかったけど。


あぁ、ボールを蹴りたくなった。

東京物語

日付が変わってしまったので今日の話になる。
半年振りに東京に行く。
3日間だけ田舎とはさよなら。
楽しんでくる。はしゃいでくる。
ヤツのいない開放されたところに行ける。
13日に帰ってくるけどそのまま東京にいたいかも。

Home Sweet Home

ホント気分がいい。
治ったんじゃないかってくらいに。
でも、その状態を冷静に見つめて
逸脱しないようにコントロールしている自分もいたりする。
みんなの前で病む前の自分を必死に演じているのも事実。


更新の間隔が開くということは
忙しいか調子がいいかのどちらか。
昨日は、部長が店周りに来るという話があり
自分の店に来たときに自分の心の病のことを言うつもりだった。
結局、店に来たのは部長ではなくあの上司。
しかし、別に重要な話があったらしく
別な店の店長が呼ばれて閉店まで事務所で話し合っていた。
いろいろ噂を聞いたが今のボクにはどうでもいいこと。


ある先輩が、北海道に帰る(転勤)という話を耳にした。
初耳だ。今まで、帰らないって言ってたのに。
何か、心境の変化があったのだろうか。
ボクも帰らないって言ってたから。病気になる前は。


先輩が帰るとなるとボクは東北に渡ってきた者のなかで
1、2番目くらいの古い店長になる。
もうそんなに経つのか・・・


父親が今年で定年する。
嘱託社員として会社に残るみたいだけど
ボクは今まで
「オレの人生なんだからオレの好きなようにする」
と言っていた。
それは、父親も定年まで余裕があったし健康だったし
なんせボク自身、心も体も気力に満ちていて健康だったから。
この歳まで独身でいたのも人生を謳歌するためだった。


心の病、親の定年・・・
自分勝手なのはわかっている。
こう重なるとやっぱり思うことがある。
「北海道に帰ろうかな・・・」


北海道に帰ったって嫌なヤツはいる。
体制も東北に来る前と大きく変わってしまっている。
帰っても万全じゃない。不安はある。
でも、親も彼女も昔の仲間もそこにいる。
なんなら仕事を辞めて帰ってもいいじゃない。


何だかんだ言ったって今のボクには
心と体の休養もしくは環境の変化が必要なんだから。


明後日の東京行きが待ち遠しく思う。
今回の上京で何か改善されればいいなぁ・・・